岩手町の秋まつり


先週末は、岩手県の岩手町で開催されていた秋まつりに参加し、フィールドレコーディングをしていました。郷土芸能である駒踊りや獅子踊り、七ッ踊り、そして風流山車など、視覚的な見応えはもちろんのこと、聴覚的にも、脈々と受け継がれてきたであろう旋律や躍動を生で体感することができて、とても贅沢な時間でした。

最近、サウンドスケープという考え方自体からきちんとリサーチし直そうとしていて、単に自然や都市の環境音を聴取したり録音したりすることだけではなく、なぜその音が鳴っているのか、はたまた「いま・ここには鳴っていない音」があるとしたら、それはなぜ鳴らなくなってしまったのかを考察したりと、いろいろな角度から環境の音に向き合おうとしています。音の視点から都市や環境をどのように知ることができ、介入できる可能性があるのか、混み入ったテーマですが、もっと奥まで進んでみたいです。

Wednesday, Oct 12, 2022
sound studies and soundscapeacoustic ecologyfall - festivalsonically ways of knowing

Va-Et-Vient

はやいものでもう3週間弱前になる9月16日(金)に、目黒のGallery QUADROにてダンサーの境佑梨、デザイナーのレビエレベッカとパフォーマンスをしました。パフォーマンスの前の時間に、みんなでカルボナーラを食べたのが、なぜかとても記憶に残っています。

イベントでは、「行ったり来たり」や「往来運動」を意味する「Va-Et-Vient」をタイトルにして、いろいろな状態を移ろうことをテーマに演奏や踊りを展開しました。ギターの音をきくこと、踊りの動きをみること、ギャラリー目の前にある目黒通りの路上の環境音がきこえること、言葉から憶い出される記憶や考えに意識を向けること——。ぼくら自身も1つに集中せずに、違うなにかに常に意識が行ったり来たりしようとする試みでした。

レベッカが演奏のアイデアをくれたのですが、彼女のアイデアで、当日はカセットテープで3人の会話を流していました。その会話は、佑梨ちゃん、レベッカ、ぼくの3人で「行ったり来たり」をテーマに話していたもので、自らの主語を移ろわせて話したり、時制を変えて話したりと、そうした言葉が演奏と踊りに混じり合うことで、現実とすこしピントがずれるような意識になるのでは、と話したりしていました。レベッカがカセットテープから奏でる「移ろっていく会話」やぼくのギターの反復音が、佑梨ちゃんの踊りに交わり、みている人々のなにかが移ろっていたなら、とてもうれしいです。ダンサーの佑梨ちゃんとは、初めて一緒にパフォーマンスをしたのですが、自然に溶け合えるような心地よい気持ちになりました。佑梨ちゃんの幽玄な踊り、レベッカが奏でるノスタルジックなカセット音、ぼくのギター、という3つの要素で演奏できたのが、とてもよいバランスだなと振り返って思っています。


photograph by Kisshomaru Shimamura

自然や都市を含めて、あらゆるものは状態が常に移ろうことで存在していると、たまにふと考えるのですが、自分たちはどのような往来や遷移を必要としていて、日々どのくらい(土地や意識などが)行ったり来たりすると心地よいのかな、などとぼんやり意識が漂うような日でした。

Tuesday, Oct 4, 2022
improvisationtransitionconscious

札幌の寒さ

藤本雄一郎さんの音楽をくりかえし聴いていた。藤本さんの音楽は、日常のなかに散りばめられた、音楽になる時を待っている音の欠片や人々のなにげない所作で構成されている。それらは藤本さんを取り巻く日常から滲み出た音楽で、その音楽は僕がいる部屋で僕のパソコンのスピーカーから流れることで、僕の日常へと溶けていく瞬間を探しているように、音として漂い続ける。

今日は、『VACANCE/VACANCY』というメディアを一緒につくっている編集者の冨手さんと写真家の相澤くんから写真とテキストが届いた。2人は現在、札幌に1ヶ月間滞在して『VACANCE/VACANCY』の2号目を制作している。ぼくは北海道に足を踏み入れたことがないけれど、その寒さとそこでの暮らしを写真越しに想像することにしようと思う。雪は音をよく吸収するけれど、大雪に包まれる札幌も、静かなのかなぁ。

Monday, Jan 3, 2022
everyday lifeenvironmental soundvacancyvacance

移ろうこと

あけましておめでとうございます。2022年も、どうぞよろしくお願いいたします。

2021年は、日本津々浦々(とまではいかないまでも)、いろいろな都市や街に行き、音を通してその場所と向き合うことができました。福島・いわき市、東京・谷中銀座、千葉・海浜幕張、広島・瀬戸田、山梨・富士吉田、そして千葉・松戸。訪れた街の音と風景、人々と話した街の記憶がとても印象に残っています。なかなか移動することが難しい状況のなか、実際に場所へと足を運ぶ機会に恵まれたことは、都市と音の関係性を紡ごうとする僕のプロジェクトには毎度欠かせないことで、今後もその経験が糧になっていくと信じています。

長い時間をかけて制作した『jingle 002』を世に出せたことも、僕にとってはとても意義深いことでした。制作を通じて、この『jingle』という媒体は、ぼくが音楽に対してアカデミックに語ったり、もしくはストリート的に感覚的に伝えたり、そのどちらも心地よいバランスでできるものだと改めて実感しました。これまで語られてこなかった視点から音楽の言説を紡ぐことも、実際に街で起きている路上の感覚も、どちらもぼくにとっては同じくらい本当のことで、それを編集とデザインを通して伝えられるのはこのメディアしかできないな、と強く思いました。次号にあたる『jingle 003』は、欧州の都市と音の状況を、zineにしかできないような装丁でつくりたく、今からとてもワクワクしています。

また、2021年は、展覧会の機会にも恵まれ、自分が今後どのような作品を生み出したいのか、どのように音を通じて都市を変容させることができるのかを思索することができました。サウンドアートとして、音の可能性を追求することと並行して、実際にそれらを街にインストールすることでどのように空間が変わりうるのか、そして音でしかわからない都市の側面があるのかなど、都市デザインや都市教育の可能性も実践して探りたい。こは大学院に通っている頃からの変わらないテーマや好奇心とも言えます。

2022年も、やはり継続して、都市と音の関係性をテーマに活動を続けていきます。都市の音と向き合い(環境)音楽を作曲すること、都市で過ごした経験をもとにメディアを編集しデザインすること、そして音(楽)や都市の可能性を探求するための(展示)作品を制作し対話すること。この3つを愚直に続けたいと思います。

-

最近は、移動することと移動しないことについて、ぼんやりと考えていました。移動をして、かつて過ごした場所に行くと、昔と変わらないような時間が流れていることに気がついたり、移動をせずにある場所を想い続けることでゆっくりと解かれる時が存在したり。移動するからこそ聴こえてくること、移動せず留まることで聴こえてくること、そのどちらも引き受けて日々を過ごせたらと思います。移動したりしなかったりしながら、都市環境と向き合い、メディアを編み、音や音楽を紡ぎ続けられますように。

田中堅大

Sunday, Jan 2, 2022
2022field recordingjingle 002toward urban compositions

どこまでも垂直なわけはなくて

誰と一緒にいるかによって、自分の性格みたいなものが生き物みたいに変化する。誰と一緒に演奏するかによっても、自分の音楽みたいなものがアメーバみたいに変化していくのを感じる。その変化が、今までに感じたことのないものだったり、あ、そっちにもいけるんだ、と実感できるときはよい演奏だったり、よい音楽の時間なのだと思う。

20日(金)はタップダンサーである米澤一平さんのイベント「FOOTPRINTS」で 、主催者の米澤さん、そしてダンサーのAokidさんと一緒にパフォーマンスをしました。タップダンス・踊り・音、領域が違うからこそ、ふだんの制約から解放されて、自由に混ざり合ったり、完全に分離したりすることができたり、個人的にとても印象的な夜でした。ぼくはギターを弾きましたが、いつも以上に音に留まろうと試みて、安易にギターだけで音楽にしないようにしていました。逆に言うと、米澤さんやAokidさんの踊りやタップダンス、語りと混じることで初めて「音楽的に」感じられるような、そんな曖昧な状態でいれたらなと思っていました。

Aokidさんとは、蓮沼執太フィルのオーチャードホール公演での現場が一緒で、それがきっかけで交流がはじまりました。彼が「駒沢公園会」と呼称している会で、文字通り駒沢公園(ぼくが参加したときは雨でカラオケの中だった)に集まって、踊ったり音を発したりして遊んで(?)いました。その駒沢公園会でも、Aokidさんが、「ふだんから、ダンスも音楽も、動きも音も、映像も写真も、もっと混じり合っていればいいのになぁ」って呟いていたのが心に残っていて。20日の夜、米澤さんとAokidさんと一緒にパフォーマンスをした時間は、3つの行為が並行して進んでいて、たまに出逢ったり、すれ違ったり、全く別の方向に進んだりとか、そういうシーンがたくさんあって、ぼくは演奏しながら、自分の音楽がより自由になっていくようでただただ幸せでした。身体的で、ある種社会的な音楽の繕われ方というか。

パフォーマンス中に、ギターを弾いていたらAokidさんの独白が聴こえてきて、それが耳に反響しつづけていたので、それを文字で残しておこうと思います。

電子レンジの中にいるみたいな音がしてくる。反転すると宇宙のような。簡単に行っちゃうみたいな。簡単に運ばれていくみたいな。変な感じするなぁ、こっからじゃさ。全然、あの、そう、こういう音なんだよね。歩いてる最中の向こうをすり抜ける車の光が本当に垂直みたいな、どこまでもどこまでも垂直なわけはなくて、車庫に入ると消える。その瞬間、光の線が終わる。そういうミュージック、田中くんやってるんです。聴いたことあるような、ないような。まっすぐの見たことあるような、見たことないような。線を糸で繋いでいくような。オーロラのカーテンは目で見えても、見えない想像をする。頭のなかで、落ちていく——。

Sunday, Aug 22, 2021
improvisationamoeba music

音が都市を思い描くとき

こんにちは。またもや更新が久しぶりになってしまいました。もっとフットワーク(?)軽めに更新できたらいいのですが、いざ書くとなるとなんだか肩にまだ力が入ってしまい、ついついちょっと気合いをいれて書いてしまってします。
今週、7月24日から8月8日まで展示をさせていただいた「生態系へのジャックイン展」が、撤収も含めて無事に終わりました。そのことについて書き残させていただけたらと思います。

1. 生態系へのジャックイン展



今回参加させていただいた「生態系へのジャックイン展(The Exhibition of Jack into the Noösphere)」は、ありうる都市の可能態を探求するリサーチチーム「METACITY」が主催する初の展覧会であり、「千の葉の芸術祭」の1部門として開催されている展覧会でした。
海浜幕張駅からほど近い日本庭園・見浜園で開催され、都市空間と情報空間に狭間に囚われたわたしたちが、どのようにして(無)生物がひしめく新たな生態系へとジャックインすることができるのか、というコンセプトのもと展覧会が構成されていました。自然を人為的に再構築している日本庭園という舞台に、あらゆる領域の芸術作品が並ぶことで、生物-無生物を飛び越えた精神的な知識の生態系 “Noösphere(ノウアスフィア|精神圏)“ へと到達することを主眼としていました。


「生態系へのジャックイン展」入り口©︎生態系へのジャックイン展


ジャックイン展のコンセプトをディレクターの青木竜太さんから伝えられたときは、夜の日本庭園で、都市-情報空間を行き来しつつも、それらを乗り越えるような展覧会に携われることに、純粋に興奮したことを、昨日の出来事のように憶えています。そして、現実の都市と情報空間をどちらも引き受けて、新しい都市や生態系への可能性を議論するような作品がつくりたいと思い、制作させていただいたのが、今回の「Fictional Soundscapes」です。

2. Fictional Soundscapes|架空都市のサウンドスケープ



「Fictional Soundscapes」は、世界中の約100都市からの環境音をデータベースとして構築し、それらを一定のルールで混ぜ合わせ続けることで、架空のサウンドスケープを聴取する作品です。そうすることで、例えば、ニューヨークの雑踏、アムステルダムの路上バス、ハワイの鳥たちのさえずりなど、普段は混ざり合うことのない状況が配合され、どこか聴き覚えがあるけれど、実際には存在しない「架空の(フィクションの|Ficitional, Fabricated)」サウンドスケープが生成されます。
それに加え、環境音のデータベースとなっている100都市の風景をコンピュータに読み込ませ、そこから架空の都市の風景映像をつくることで、視覚的にも都市の架空性を探求しようと試みました。

見浜園にて展示された《Fictional Soundscapes》©︎生態系へのジャックイン展





これらのフィクションな音風景を体験いただくことで、作品を観て聴いていただいた方の心や頭に自由に立ち現れるのが、新たな都市や生態系の可能態になりうる、と思い制作させていただいた作品です。僕がヨーロッパで勉強していた話になりますが、音はぼくらの身体に直接イメージや経験を想起させます。その音の正体がわからずとも、その音が記憶や知識を否応なしに引き出して、心になにかを描かせます。それは「現象学的聴取|Phenomenological Listening」と呼ばれているアプローチなのですが、そのような態度で、あらゆる都市の環境音が配合された架空の都市の状況を聴いた人々は、どのような都市を心に「現象」させるのでしょうか?それらを丁寧にすくい上げることから、これからの都市や現在・過去の都市についてもより豊かに考えられると思ったのです。
そしてさらに、自由に都市像を描く人間の心と、ある種決定論的に都市の風景を描き続ける機械を対比させたい、という狙いもありました。人間も機械も全く異なる仕方で架空の都市を思い描くわけですが、それはどのように異なり、どのように共鳴するのでしょうか?情報技術の発展が目覚ましくなってから久しいですが、人間と機械、そのどちらの創造性も「並行|Juxtaposition」させることで、ありうる都市の可能態について想いを馳せてみたかったのです。

展覧会会場にも多く在廊させていただいたのですが、作品を観ていただいた方と議論させていただける時間に、まさに新たな都市がそれぞれ思い描かれているようで、その時間がとても貴重だと感じていました。静かに目を瞑って音を聴き、それからゆっくりと機械が生成する都市と比べている方、機械が描く風景と現在の都市との比較をしてくれる方、そして、どこの都市かを瞬時に言いあてようとする子どもたち——。いろいろな方が自由に都市を思い浮かべ、みなさんを新たな知的な精神生態系へとジャックインさせるお手伝いができたなら、それ以上に幸福なことはないと思います。

3. 都市空間に架空性をインストールすること



JR海浜幕張駅指定席券売機横にて展示された《Fictional Soundscapes》©︎生態系へのジャックイン展


そして今回は、とても勢態なことに、JR海浜幕張駅という公共空間でも同作品を展示させていただいておりました。
JR海浜幕張駅指定券売機横で展示をさせていただいた《Fictional Soundscapes》は、架空性を公共な空間にインストールする試みだったと言えます。駅展示では、JR海浜幕張駅の駅員さんたちにも「海浜幕張らしい音」をレコーディングしていただき、それらも混ぜ合わせて架空の環境音を生成していました。そうすることで、JR海浜幕張駅を出入りする方々が、どこか親しみやすいけれどもどこか違和感を感じるような環境音を駅空間にインストールすることを狙いとしていました。
また、音の可聴範囲を限定するために超指向性スピーカーを使用し、その対面にいる人たちにしか聴こえないようにすることで、公共空間でありながらも騒音になりすぎず、作品の前を通るときに音がふと耳に語りかけるように調整をしていました。実際に駅を使用していた方がどのように感じ得たのかは聴けていないのですが、なぜか駅構内なのに、ハノイの高らかな鳥のさえずりとパリのパサージュの雑踏が混ざって聴こえたりと、非日常的な感覚をすこしでも日々に加えられていたら嬉しいです。そこからどこにでも行けるプラットフォームの駅のように、音の聴取が想像を換気することで、どんな都市でも思い描いて、駅空間にいながらその都市に心が豊かに移ろうような、そんな作品体験になるとよいな、と思って制作・展示をさせていただきました。

4. 音が都市を思い描くとき



今回は、「音がどのように都市を思い描くのか?」が主題でした。音を聴取するときに、わたしたちはどのように都市を思い描くことができるのでしょうか?現実で体験した知覚を継ぎ接ぎするように、存在し得ないけれども確かに心に新たな都市を創造することができるのではないでしょうか?そうした思いとともに、制作をさせていただいた展示です。

そして、この展示は本当にたくさんの協力で実現をすることができた展示です。「生態系へのジャックイン展」の芸術監督の青木竜太さんには、METACITYの活動を通じてありうる都市の形や架空性の可能性について幾度となく議論させていただき、そこから生まれ出た作品のアイデアでもあります。今後とも、ぜひプロトタイピングと思索を通じて、都市の可能態を一緒に考えさせていただきたいです。この場を借りて、感謝を言わせていただきます。
また、見浜園と駅展示において、細部にいたるまで常にサポートをしてくださった、土肥さん、莇さん、宇野さんに感謝申し上げます。僕が至らない多くの部分をていねいにカバーしてしただき、そのおかげで、安全に、そして安心して作品を制作・展示することができました。どうもありがとうございました。
そしてJR海浜幕張の駅員さんたちに感謝を述べさせていただきます。駅という公共空間での展示を、「海浜幕張らしい音」を集めるところから一緒につくりあげていただき、ありがとうございました。架空の音を駅にインストールすることを、スムーズに実現できたことは他ならぬ駅員さんたちのおかげです。
最後に、一緒に作品制作の山を登ってくれた2人に感謝します。都市とサウンドアートの作品をよく一緒につくってくれているエンジニアの湯本遼くん、そして思索的なプロダクトデザイナーの太田琢人くん、2人がいなければ、この作品の成果はありえません。これからも一緒につくっていきましょう!

そして、息つく間もなく、8-9月はあと2本展示があり、どちらも広義な意味でのサウンドスケープや環境を捉えなおす作品です。また9月からは、松戸のParadise Airでの滞在制作もはじまります。今後とも、都市と音(楽)の関係性をより豊かにできるような活動を展開していこうと思います。そして、今回の展覧会を経て、自分が実現したい作品や奏でたい音楽(!)もみえてきた気がするので、それもたのしみにしていただけたら嬉しいです。

Wednesday, Aug 11, 2021
fictional soundscapesjack into the noöspheremetacity

松戸の音

とても嬉しく、光栄なことに、PARADISE AIR 2020-2021 Longstay Programの招聘アーティストに選んでいただきました。PARADISE AIRは、千葉県松戸市に位置する施設で、アーティストが滞在制作を実施する場所として知られています。もともとはホテル施設だった場所を活用して、現在の使用方法になっていて、世界中から面白いアーティストたちが集っています。そのPARADISE AIRに、4-5月はe-Residenceとして、9-11月はResidence期間として滞在します。そこでどんな出逢い(ハプニング)があるのか、どんな音があるのか、今からとてもわくわくします。

偉そうにPARADISE AIRについて書いたのですが、実は訪れたことはなく(笑)、なんと明日初めて行きます。そして、実はとても小さい頃松戸市に住んでいたことがあるらしく、自分のルーツを解きにいくような気もしていて、不思議な縁を感じています。PARADISE AIRの今年のレジデンス・テーマが「時を解く|UNRAVELING TIME」なので、自分の幼年時代の「時」もこの際解きたいな、なんて思っています。

「松戸って一体どんな街なんだろう...」と思い、とはいえ日本に住んでいる僕からしたら実際に行ってみるのは簡単なので、最初は音から松戸のイメージについて探りたい、と強く思いました。松戸の音を聴いて、なにか幼い頃のことを憶い出すのか、それはどのような記憶なのか、なにも憶いださないのか。それとも、まったくなにも憶いださないとしても、どのように僕の身体に反響するのか、どのような感情になるのか。現象学的な聴取(Phenomenological Listening)なんて言われたりしますが、まずはあらゆる固定観念をとりはらって、松戸に向き合ってみたい、と考えたのです。

その話をe-Residenceのときに話していたら、同時期に招聘されるアーティストのラルフ·ルムブレス(Ralph C. Lumbres)さんが松戸のフィールドレコーディングを共有してくれました。彼は以前にも、PARADISE AIRでレジデンスをしていたので、そのときのフィールドワークの記録が残っていたようなのです。そして、今、その松戸の音をききながら、この文章を書いています。

一番最初に聴いた松戸の音は、松戸市役所前の音環境でした。松戸に住んでいた、という前情報ももちろんありますが、その音を聴いたときに、どうしようもなくひどく身体が懐かしさで覆われる感覚がありました。独特なメロディの放送前のジングル、昭和っぽいアナウンスや文言、街に反響する電車の走行音、人々の雑談、夕方をおもわせる時間の流れ方、終始鳴り響く鳥の鳴き声———。鳥類や人々の声、街に響き渡る交通の音、それらの音量バランスやリズムが、どうしても聴き馴染みがあるようにしか思えなかったのです。もちろん、ラルフのフィールドレコーディングのうつくしさに手助けされているとは思いますし、日本に長く住んでいるため、街のサウンドスケープは僕にとって耳馴染みのよい慣れ親しんだものですが、松戸の音が自分の身体に反響している感覚は確かに強く感じました。不思議と、自分の身体も小さくなっているように感じて、商店街近くの線路沿いの道を、ビニール袋を持ってゆっくりゆっくりと歩いていくような、そんな気持ちになりました。

音を聴くだけで、どれだけ街のことがわかるのかは、はっきりとはわかりません。ただ「都市の音を聴く」という行為を追求してみることで、その都市らしさや、古い記憶、その街の歴史、その場所をとりまく環境、未来にむかってどのように変化していくかなど、聴くことに起点を置いてその可能性を探求したいと思っています。レジデンス期間で、どのようなプロジェクトになっていくかはわかりませんが、まずはリスニングから、街との関係をはじめてみたいと思います。明日行ったら、全然想像と違った!みたいなこともありそうですが(笑)そんな不確かなことも含めて、PARADISE AIRに住みながら松戸と向き合うことがたのしみです。


Tuesday, Apr 6, 2021
soundmusic city field recording residencysound programming

都市の記憶、音の記憶

渋谷・円山町Sta.にて、2020年7月4日から7月12日まで開催していた個展「Urban Reminiscence——Sound, Object, and Rhythm」が終わりました。会期中、音が流れつづける自分の作品の隣で多くの時間を過ごす中で、自分の作品や活動、ひいては都市と音楽について思うことを手帳に書いていて、これを機に自分の活動含めて文章を書き残す場をつくりたいなと思い、自分のウェブサイトにこのスペースをつくりました。
不定期になりますが、音や写真とともに、文章を書いて更新をしていこうと思います。

1. ヨーロッパでの経験



ベルギー・ゲント王立芸術院(KASK & CONSERVATORIUM)


今回の作品は、僕が去年2019年9月から在籍しているヨーロッパのプログラム・European Postgraduate in Arts in Sound(EPAS)での成果報告として制作したものでした。EPASはベルギーのゲント王立芸術院が主宰しているサウンドアートのプログラムで、ベルギー・ゲント、オランダ・アムステルダム、フランス・リールなどを巡って、音の持ち得る可能性を探求するとても魅力的なコースです。音を聴くこと(=listening)だけで想像力を拡げていくことや、音を空間に配置すること(=composition)、音を主題に作品をつくること、数え切れないほど多くを学ばせていただきました。(EPASやヨーロッパでの経験や旅行記は、またゆっくり書けたら、と考えています。)
そして、複数の都市を巡りながら、音やサウンドアートについて実践を行うなかで、「都市の環境音(サウンドスケープ)は人間にどんな影響を与え、どのような可能性を持っているのだろう?」という疑問が生まれ、それが起点となって、さまざまな音の作品をつくっていき、最終的に今回の個展に発展していきました。

2. 都市の記憶



今回の作品は、都市の廃材を集め、その廃材がきいていた音をフィールドレコーディングするところからはじまります。廃材を通してその音を奏で、空間に配置すること(ぼくはこの行為がとても作曲的だな、と考えています)で、複数の都市のサウンドスケープを、都市の記憶として再構築しました。

展示風景より(写真:高橋一生)


レストランでもある展示会場のSta.さん、FabCafe Tokyoさん,そして株式会社NODさんに協力していただき、渋谷の廃材を受け取り、その廃材が置いてあった場所で音を録音することで、廃材の記憶を記録・録音していました。そして、録音した音を鳴らすときは、特殊なスピーカーを廃材に貼りつけていたのですが、音は振動なので、その廃材の素材や物質性によって響き方が異なり、それがとても記憶らしいな、と感じていました。人間も、同じ経験をしていても人によって異なるように記憶していたりするように、廃材(物体)も、その身体によって音の記憶の仕方は異なるのです。
そんなことを考えながら、都市の記憶をSta.さんの会場に音として配置し、(ギャラリーがオープンなので)渋谷の実際のサウンドスケープと、僕の作品から流れる記憶のサウンドスケープを混ぜ合わせることで、都市の記憶を体験するサウンドインスタレーションを制作しました。

3. 都市の音



実際に作品をインストールして、個展をオープンしてみると、いろいろな気付きがあり驚きました。
大きな気付きとしては、都市で音を奏でることは、ささやかな都市への介入になり得る、ということです。都市に音を流すことは、とても繊細な行為なので注意が必要ですが、Sta.さんのギャラリースペースの寛容さに助けられることで、心地よく音を流し続けることができました。
展示している廃材自体は、視覚的に再構成しているものの、日用品のブリコラージュなので、僕の作品は会場(そして都市)に漂っている「音的な、音楽的な、なにか」になります。その「音的ななにか」を聴き取って反応をしてくれる人もいれば、全く気にかけない人もいる。それが僕にとってはとても美しい現象に感じられました。
ギャラリーが半オープンなので、僕の個展だ、ということを知らない人もたくさん通りかかります。何事もなく通り過ぎる人、じっと見つめてから過ぎ去る人、僕に質問してくれる人————その現象すべてが、都市で音の作品を展示する魅力だと強く実感しました。そして都市に音を配置することで生まれる(音)風景こそ、都市空間でのサウンドアートの作品たりえるのではないか、と今は考えています。

4. 音の記憶



都市の環境音を複数混ぜて作品をつくっていると、それらがときに干渉し、共鳴したり、不協和を奏でる瞬間に意識的になります。「あ、音楽っぽいな」と感じたり、「ちょっと心地悪いな」とか、いろいろな瞬間が音によって構造化されます。都市の環境音をレイヤーにすることで、音がノイズらしくも、きれいな音楽としても聴こえることに可能性を感じています。
そしてより興味があるのは、音が記憶を呼び起こす瞬間です。音を聴いて、ふと昔のことを憶い出したり、訪れたことのある場所に意識が飛ぶ瞬間が、ぼくはとても尊いなと思います。音が人にどんな記憶を想起させるのかは、状況によっても異なるし、その人の過去の経験やその日の身体の状態にもよりますが、そんな音の気まぐれな性質も踏まえて、都市と音に向き合う面白さを日々実感しています。

5. 展示を終えて



今回の展示は、たくさんの人のサポートがなければ実現しませんでした。EPASでの研究制作を支えてくれた先生方や友人には、なによりの感謝をしております。彼らと音について議論する日々がなければ、間違いなく現在の自分はありませんでした。そして、実質上のメンターである、ロンドン芸大のマークには、常に思慮深い批評をしていただきました。
また、「都市の音を彫刻する」という不思議な企画案を快諾していただいたSta.の奈雲さんには、感謝をしてもしきれません。この場をかりて、お礼を言いたいと思います。本当に、どうもありがとうございました。
テクニカルサポートをしてくれた宮下くん、安斎くん、湯本くん、設営サポートをしてくれたhazuちゃん、榊原さん、どうもありがとう。
そして、個展の記録を全て美しく撮影してくれた高橋くんにも感謝をします。いつもありがとう!
今後も、都市と音楽について理論と実践を架橋した活動をどんどんしていこうと思っています。自分自身でも、なんだか複雑な活動をしているな、とたまに思いますが、その過程含めて、ここで記録していけたらなと思っています。

Thursday, Oct 7, 2021
soundmusiccity